facebookの俺ルールについて

facebookについて、「友達申請するときにはメッセージを送るのがマナー」などの記述を見かけます。このような暗黙のルールは存在するでしょうか?

「プロフィール写真は自分の顔が原則」との記述も見かけます。その根拠はどこにあるでしょうか?

これらの「俺ルール」について考えてみます。

はじめに

前回に引き続き、facebookの「俺ルール」について書きたいと思います。

この稿での「俺ルール」とは、SNSの運営者(或いはグループの管理者)が定めていないのに、ユーザーが独自に他者に課すルール、あるいは「暗黙のルール」として主張するルールを指します。

自分に課すだけのルールは除きます。(他者とコミュニケーションを図る上で、それが円滑になるよう自分を律することは素晴らしいことと思います。)

facebookの俺ルール

facebookの俺ルールには以下があります。

  • XX(あるカテゴリ)のような投稿をするのはけしからん
  • 友達申請するときには、メッセージを入れるのがマナー
  • FBページの「紹介」をするときには、メッセージを入れるのがマナー
  • 他人の投稿をシェアする時は、シェアして良いか聞くのがマナー
  • プロフィール写真は自分の顔が原則

3点目までは、私が実際に見たり聞いたりしたものです。4,5点目は、Google先生にお聞きしました。

(「DMのないフォロー禁止」に始まる、twitterの俺ルールに比べると少ないですね。)

1点目については前回の「疲れないfacebookとの付き合い方」に「なんでも投稿してかまわない」ことを書きました。

2点目以降について考えてみます。

アクションする前にメッセージを入れるべき?

友達申請、ページの「紹介」、イベントの「招待」、投稿のシェアなどのアクションをする前に、メッセージなどでお断りを入れるべきでしょうか?

アクションをする側として

私は、お断りを入れる必要はないと思います。

そういう仕様になっています。利用規約にも、そうすべし、とは書いてありません。

知らない人と「友達」になりたい場合

面識がない人が投稿を「公開」しており、その人の投稿をタイムラインで見たい場合があります。(例えば著名人。)

その場合は、友達申請するよりフォローの方が適切かもしれません。

フォローの仕方

タイムラインなどでフォローしたい人の名前をポイントするとポップアップが表示されます。もしその人が公開の投稿をしている場合は「フォローをする」というボタンが表示されますので、これをクリックします。

面識がない人を「友達」として承認するかどうかは、その人次第です。適切に使い分けましょう。

アクションを受ける側として

もし、メッセージなどでのお断りの無いアクションが「うざく」思われたとき、投稿やコメントにてフォロワーに対して主張することはありがちです。

しかしそのような投稿やコメントも、読み手によっては「うざく」思われてしまいます。(前回「なんでも投稿してもよい」と書きました。ですので、俺ルールの主張の投稿をしても構わないのですが。)

「俺ルール」を主張したいのであれば、根本的な解決のために、以下をすることを提案します。

  • SNSの運営に、俺ルールを仕様か利用規約に盛り込むようクレーム(主張)をいれる。
  • 俺ルールを示し、それに同意した人とのみ「友達」になる。(違反者は「友達」でなくす。)
  • 俺ルールにあったSNSに引っ越す。あるいは俺ルールのSNSを作る。

難しいですよね。

俺ルールに反するアクションを気にし続けることも、疲れてしまいます。

お気に召さない友達申請、ページの「紹介」、イベントの「招待」はスルー若しくは「削除」します。(ポイントし、右上に表示される「×」をクリック。)

それも仕様と利用規約の範囲内です。

投稿のシェアについて

シェアについては、元記事の公開範囲に従っています。

投稿が公開されているホームページのシェアであれば、もともと公開されているものなので「お断り」もなにも無いでしょう。(シェアした時の自分のコメントについては、次の「公開範囲」の問題です。)

投稿自体がシェアされる場合は、投稿時の公開範囲が適応されます。ですので、意図しない範囲に公開されたくないのであれば、前回書きましたリスト機能などを使い、あらかじめ適切な公開範囲を設定しておきましょう。

プロフィール写真は自分の顔であるべきか?

私の解釈では、プロフィール写真を自分の顔にする必要はありません。

私のプロフィール写真も自分の顔ではありませんが、facebookさんからの警告は今までありません。

2015年2月22日現在、「Facebook利用規約」、「Facebookの原則」に、そのような記載は見当たりません。

「実名」については、Facebook利用規約の「4. 登録とアカウントのセキュリティ」の冒頭にこのように記されています。

Facebookでは、利用者に実名および実在の情報を提供していただいています。

Google先生にお聞きすると、「プロフィール写真は自分の顔であるべし」とするブログの記事や、質問サイトへのコメントが多数あります。

この主張は、「プロフィール写真」が文字通り「実在の横顔の写真であること」という解釈でしょうか?「実名主義」から派生したフォークロア(ネットロア)でしょうか?はたまた、以前はそういう規約だったのでしょうか?

Google先生が示す「自分の顔が原則」の記事やコメントのうち、私が確認した範囲では、その日付は2012年から2013年、規約を引用しての説明はありませんでした。

archive.todayには2013年6月27日の「Statement of Rights and Responsibilities」の記録があります。ざっと見た限り、2015年2月時点の日本語版と、さほど違いはありません。

俺ルールの生まれる理由

俺ルールの生まれる理由は、文化の衝突にあると思います。

例えば、今まで特定の掲示板、mixi、或いはtwitterを使っており、facebookを使い始めたとします。

多くの人は、それまで使っていたコミュニティサイトの使用体験(或いはメンタルモデル)を引きずっていることでしょう。他の人がfacebookの仕様や利用規約の中で行ったことでも、自分の使用体験に合わない場合に不快感を持つ人もいると思います。

或いは、「何かする場合は声がけする」というリアルの文化と、システムが介在するネット文化との衝突かもしれません。

或いは、パソ通世代、インターネット普及期世代、imode世代、LINE世代のような、世代ごとの文化の衝突かもしれません。

ネットでなくとも、例えば海の真ん中に人工島を作り、様々な国の人を移住させたとします。それぞれの国の文化を引きずって、衝突を起こすことでしょう。

「列にはちゃんと並べ」も俺ルールかもしれませんね。

(twitterに比べfacebookの俺ルールが少ない理由は、twitterに比べるとfacebookのほうが文化の衝突が少ないからかも知れません。)

まとめ

facebookを事例に、他人に課す「俺ルール」について考えてみました。

俺ルールの生まれる理由が文化の衝突だとすれば、ある意味避けられません。しかしそれが起こることを予知できれば、寛容にもなれるでしょう。

SNSの仕様を知れば、回避できることもあります。

一点だけお願いです。ルールっぽいものを主張される場合は、根拠を示して頂けると助かります。

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