夢の中の五感プラスα:夢の話その1

私の見る、夢(夜、睡眠中に見る方)の見え方を、五感の分類でまとめます。

また五感に入らない感覚や見え方もありますので、プラスαとしてまとめます。

読まれる方と同じなのか異なるのか…。

はじめに

夢の中で「これは夢だ」と意識することがあります。

そんな時は、夢がどのように見えているか観察をします。

また夢から醒めたときにも、余裕があれば忘れないうちに興味深かった点を思い返します。

本稿では、私個人の夢の観察結果を、事例を交えてまとめます。

夜見る夢を語り合う場はほぼないと思いますので、自分と同じ人がいるとか、違う人がいるとか、思って頂ければ面白いんじゃないかと思います。

尚、オカルト要素はありません。

明晰夢の見方

この稿では「明晰夢」という言葉を、夢だと意識する夢、だけの意味で使います。

巷間では、明晰夢というと夢をコントロールできることも含むようですが、私はできません。(空を飛んだり壁を突き抜けたりするくらいできましたが、最近はそれもめっきり…。コントロールの仕方を知りたい方は他をあたってください。)

最初にその明晰夢を見る確率の高い方法から。それは…

二度寝。

半覚醒で意識がある状態から夢に入ったら、夢に入ったことがわかりますからね。

あと、枕元にノートを置いて夢日記をつけるとよい、という記述を見かけますが、私はそんな面倒なことはしたことありません。

夢の内容を思い出しておくだけで、すべてではなくとも特徴ある夢は後々まで覚えているものです。

2018年1月24日追記

Gigazin「明晰夢を過去最高の確率で見られる科学的な方法が判明
この記事の2つ目の方法は二度寝ですね。

夢の中の五感

本題です。

夢の見え方を五感に分類してまとめてみます。

視覚

よく、色付きの夢が見られるとか見られないという話があります。また視野の中心だけが色付き、という記述も見たことがあります。

私の場合は色付きですが、通常は彩度が低いです。たまに草原の緑とかツツジの赤とか、彩度が高い時があります。そんなときは「鮮やかな夢だなあ」と印象に残ります。

また遥か昔、高校生の時分ですが、二色のシルクスクリーン印刷のように、白、黒、そして中間明度が緑という三色の夢を見たことがあります。その時分通ってたの校舎も、人の顔も。

後にも先にもその一度きり、レアケースです。

ディテール

ディテールは色とほぼ同じような状況です。

普段はディテールは細かくないですが、たまに木や建造物などディテールが細かいときがあります。やはり「ディテールが細かいなあ」と感心します。

色付き・或いはディテールが細かいのは、視野の中心というよりは注目したものの、彩度が高い・ディテールが細かいという感じです。逆に彩度が高い・或いはディテールが細かい結果、そこに注意が向いたとも言えますが。

注目があった場合に関しては、必ずしも彩度が高いものがディテールが細かい、というわけではありません。

一番綺麗だった夢

一方、注目した部分だけでなく視野全体の彩度が高い場合には、全体的にディテールも細かいように思います。

そのような夢は綺麗で長く観察したく思うのですが、得てして長続きしません。

今まで見た夢で一番綺麗だった夢もそんな夢です。

大きな川の上空を飛んでいました。

川の色はエメラルドグリーンです。水面は鏡のようで、波一つありません。透明度が高く、水底の石一つ一つがはっきり見えました。

川岸から中心に向かい、深くなる様子も伺えました。水深は2,3mくらいに見えましたが、現実の屈折率を適応すると結構深かったかもしれませんね。

文字

近年まで夢の中で文字が見えることはありませんでした。

あるとき街角のシーンで、店の看板に文字が見えないことで気がつきました。

そのことに気づくと、文字が現れうる状況で注目するようになりました。すると字が現れるようになりました。

新聞や漫画のフキダシでは、注目した一文字だけが明確に浮かび上がります。注目を移すと違う一文字が入れ替わりに浮かび上がります。しかも漢字で誤字だったりします。(ワープロのおかげで漢字を忘れてますからねー)

そのうち、文の文字が一辺に見える夢がありました。書道をする夢で、「豈海大也/豈空青也」のような漢詩風の文を書きました。書いた文字が一度に見えましたが、「豈」はやはりテキトーな誤字でしたね。楷書でしたが、現実の私の字よりきれいでした。

読むより書く方が、詳細な文字の想起が必要だからかもしれません。あるいは書道は絵画的だからかもしれません。

動き

動きはほとんどありません。テレビや映画のようにカット割りで進行する感じです。

とはいえ空を飛んだときなどは、地表はスクロールしますし、進行方向は三次元的に拡大しているようです。また雪や葉などが降る様子も見えますし、芦原が渦を巻くようなシーンもありました。

カットの中は、完全な静止画ではないようです。

聴覚

半覚醒に近く外部の音が聞こえる場合を除いては、夢の中で音が聞こえることは滅多にありません。

人の声など音として聞こえることもまれにありますが、覚醒時に聞こえる幻聴と同じようです。そのような音声の時はたいてい目が覚めますから。

会話

もちろん会話はありますが、音として聞いているわけではなく、会話の体で文意が想起される感じです。相手の声色はありません。

英会話は得意ではありませんが、英語を話すときもあります。夢の中で初級レベルの単語を組み合わせる様子は、夢の中で文を書く行為、文字を想起し綴ることに似ています。

英語の文を想起できればもう言葉を発したことになっていますし、相手の言葉はもう意味で伝わっています。自分が知らない単語や発せられないネイティブ風のイントネーションは想起できませんからね。

歌・音楽

音として聞こえるわけではありませんが、夢の中で歌や音楽が流れることがあります。これは、歌が脳内再生される感覚に近いです。

また、夢の中で全く知らない歌・音楽が流れることもあります。

明晰夢のときはメロディーを覚えておこうとするのですが、覚醒すると覚えていません。

私は作曲はおろか楽器もできませんから、オリジナルの音程や歌詞などを再生しているのではないでしょう。

旋律を聞いた時の感動のような、脳内で処理された中間情報を想起し、それを音楽を聞いている体で再現しているのかな、と思います。

嗅覚・味覚・触覚

嗅覚・味覚・触覚は、半覚醒に近く外部の情報が反映されている状況をを除いては、夢にほとんどありません。

匂いについては女性とすれ違って芳香が再現されたことと、シチュエーションは覚えていませんが悪臭がしたことがあります。

また夢の中で旨い日本酒だからと言われながら注がれ、飲んでみたら水っぽいけど独特の香りがある、と思ったことがあります。水っぽいというのは味がないということで、トロミも感じましたが、単に口の中の唾液を感じてただけかもしれません。

「独特の香り」はうまく表現できませんが、お蔵のにおい、の類だったかと。穀物蔵でも調度品の蔵でもありませんが。

香り、というだけに嗅覚に近いですかね。嗅覚は味覚に大きく影響しますし。

触覚については、くすぐられて、ものすごくくすぐったかったことがあります。

また若い時分には、歯がぐらぐらする夢をよく見ました。学研の月刊エルフィン(ムーの姉妹紙)付録の「フロイトの夢解釈辞典」で調べましたら、「歯の抜ける夢は自慰の罪悪感」と書いてあって苦笑。

夢の中のプラスα

夢の中では、五感に分類できない感覚もあります。また特徴的な見え方もあります。

本章ではそれらをまとめてみます。

感情

小さい頃は怖い夢をよく見ました。今でも恐怖を感じる夢はたまにあります。視線を感じる、何かいる類の恐怖です。

怖い夢のリセット

怖い夢を見ていても、目を開けることを意識することで夢をリセットできます。

たまにリセットしたつもりでも恐い夢の続きになってしまい、再び目を開けることを、現実(寝床の天井)が見えるまで意識することもあります。そこまですれば完全にリセットします。

今思うと、まず子どもの頃に「夢はリセットできる」があり、その後夢だと意識できるようになったのかなあと、思います。

質の悪い夢

余談になりますが、質の悪い夢は「寝床で起きた夢」です。暗く、色やディテールがなくっても当然。夢だとわかりません。

そんな夢で体が動かなければ、もう金縛りです。半覚醒に近く、体性感覚が繋がっても運動神経が繋がっていなければ、体が動かない恐怖を感じるのも当然。

さらに視線や何かいる感覚があれば、さらに恐怖です。

感動

夢の中で感動を感じることもあります。その多くが、先に書きました、歌・音楽が流れた場合です。

感情の切り替わり

恐怖や感動のほか漠とした不安感などの、夢の中の感情の興味深いところは、覚醒する時にまるで潮が引くようにサーっと感情が引いていくところです。

寝転がって本を読んでいるときに、うつらうつらして短い夢を見ることがあります。そこから覚醒するとき、感情ではありませんが、夢の世界観から本の世界観への切り替わりを感じます。感情の潮の引き方とスピードは同じです。

とすると、感情は意識に付随するのではなく、世界観というか認識の側に属していることになります。そして一度に意識できる世界観は一つだけ。パラレルはありません。

感情が先か

怖い夢を見た後に、起きてから思い出してみて、夢の状況が恐怖を感じるようなものではないときがあります。

また聴覚の節にて、聞いたことのない音楽は、旋律 が生む感動のような中間情報が先にあるのではないか、と書きました。

夢そのものについても同様で、まず感情あって、その感情に合うであろう認識・世界観を後付けして構成している場合があるのかもしれません。

現実にも、まず好き嫌いの感情が先にあって、論理を後付けしているように思える記述が多々ありますよね。(ネット上の政治ネタとか)

土地勘

多くの夢に「土地勘」があります。

ここでいう「土地勘」は、覚めた後で地図が書けるほどにカット毎の位置関係を覚えている、ということです。

平面的な位置関係だけでなく、ビルの内部や多層のプラットフォームの駅のような、三次元的な位置関係もあります。

興味深い点は、よく知っている現実の場所がそのまま夢に出てくることがまったくないことです。知らない土地か、あるいは知っている土地の設定でも、現実と異なる位置関係や拡張が必ずあります。

そのような場所の土地勘が覚醒後にも残り、また幾つかの夢の土地勘が未だに想起できるのは、たいへん面白いことです。

主観と客観

夢は第一人称の主観視点であることも、テレビや映画のような第三者視点のこともあります。

Back to the Futureのような設定の、ミュージカル映画風の夢もありました。

(私ではない)主人公が存在していますが、実体はありません。幽霊のような感じ。視点は宙に浮いたその主人公の視点。

シーンは木造の校舎で、劇団の男女が歌で掛け合いをしながら、公演の後の椅子を後片付けしていています。(聞いたことのない歌)

それが主人公の父母の若い頃です。

主人公の心情やら歌やらで、感動の感情でした。

設定の不連続性

主観と客観が切り替わることもあります。

最初客観の視点で見ていて、私とは性別の異なる登場人物に視点と自我が切り替わったこともあります。「自分は今女の子だなあ」と。

設定そのものが全く変わることもままあります。

ビルのエスカレータを上がっていたら、丘の峰の石畳(というか巨石)を歩いていて、そしてテレビの音が聞こえる(体の)庭師の家の前を通るときはもう大きなお屋敷の敷地内の設定で、裏門から敷地を抜けると街だった…

というように。

まとめ

私の見る夢を整理しました。

ご覧になられた方と同じところもあれば、違うところもあることでしょう。

経験や認識の仕方、脳の処理の仕方に、同じところもあれば違うところもあるでしょうから。

次回は、本稿での見え方から類推して、夢と記憶の仕方は関係があるのではないか、という考察を書こうと思います。

 

コメントを残す